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愚痴と悩みと音楽とあれそれ

クソ就活生のクソ日記

こぼれ話

家族の話。

 

一人っ子である。今年で23になる。極度の偏食で体はガリガリだったが最近は標準体重くらいまでになった。目は細く、一重。鼻も低いし歯並びも悪い。

 

神戸出身だがほんとは違う。両親が出張先の外国で産んだと聞いている。産まれて1、2年の間は色んな国々に連れ回されたらしい。

 

幼稚園に入るより前、両親は離婚した。訳は知らないし、聴く気もない。父に引き取られ、父方の祖父母の家で暮らした。それからずっとそこで暮らしている。

 

母とはそれから入学・卒業の時にだけ会っていた。一番古い記憶は小学校の入学式で会ったのを覚えている。物心つく頃にはもう離れていたので、母親だという認識が無く、親戚のおばさんくらいの感覚だった。自分で言うのもあれだけど、美人だった気がする。

 

誕生日の日には電話を寄越してくれた。ちょっとしたプレゼントと手紙もくれた。僕はいつも面倒臭がりながら電話越しにお礼を言っていた。

 

だんだん電話する度に、母の体調が崩れているのがわかった。

中学の卒業のとき、母は車イスに乗って来ていた。別人のように顔が浮腫み、白髪混じりになり、顔色も良くなかった。少し驚きはしたが、なんとなく体調が良くないことは知っていたので、このときはあまり気に留めなかった。母とハグをしたのをよく覚えている。もっとたくさん話しておけばよかった。

 

高校の入学式、母は病状が優れず来れなかった。どうやら入退院を繰り返しているらしい。

高2の6月、3時間目の途中に先生に呼び出され、母が死んだと知った。

 

一週間後、母の葬式があった。突然の心臓発作で、前日の夜、自宅の風呂で見つかったらしい。箱の中で寝ている母は、あの日卒業式で見たような姿ではなく、小学生だった頃に見た美人な顔だった。久し振りに会えた気がして少し嬉しかった。

親戚の人たちは皆泣いて僕を励ましていた。父は泣くどころか、一切表情変えることなく飄々としていた。僕もなぜか全く悲しくはなかった。自分を産んでくれた母親という感覚が最後まで湧くことはなかった。

 

それから毎年お盆と正月には母の実家に墓参りに行っている。母の弟夫婦が住んでいて、子供が3人いた。幼いときの自分そっくりの顔で驚いた。母の遺伝子を継ぐ子孫たちは何故揃いも揃って不細工なのか今でも謎だ。

来年の正月までに就活の良い報告が出来るようにしたい。

 

父は今も単身赴任中で時々しか帰ってこないが、就活の相談によく乗ってくれるし、学費や生活費の仕送りもしてくれている。

母はいなくてもずっと祖父母が世話をしてくれていたので、何不自由なく生活できた。散々甘やかしてもらっていたせいか、反抗期もなく、今ではこんなどうしようもない奴になってしまった。親不孝もいいところだ。本当にごめん。

 

 

今日は僕の誕生日だ。

家族には色々迷惑かけているけども、今日まで面倒みてくれてありがとう。これからも、もうちょっとだけ脛をかじらせて下さい。大学卒業したら今までの分少しづつ返すから。